修道士はサンダルの足を止めた。陽光に眼を細めてあたりを見回す。 パレルモの街から外れたここは、街中にくらべてはるかに緑が多い。オレンジやレモンやナツメヤシ、遠くには桑畑もある。 大きく息を吸った。甘い花の香り、果物の香り、神秘的な香辛料が鼻をくすぐる。この島に来ていくらか月日をすごしたが、未だに新鮮に彼を楽しませる香りだ。 修道士は一人、うなずいた。ここならさして苦労せずともそろうだろう。 イタリア半島から枢機卿が来ることになった。 なにかシチリアらしいもてなしを、ということで彼が使いに出された。彼がいるあたりはムスリムたちの村落だ。アラビアやアフリカから伝わった野菜や果物、果ては桑を作って蚕まで飼育している。 ここならば、欧州から来た客人を喜ばせるものがあるにちがいない。パレルモの街から出て南に下ると、新鮮な柑橘類や木の実類、さらに甘い瓜の仲間も栽培されていた。 街でももちろん買うことはできるが、大量に買い付けるにはこっちのほうが手っ取り早いだろう。サトウキビやサフランも魅力だ。 なによりここは、彼が所属するモンレアーレ修道院の管轄だから気安く訪れることができる。 たとえ、異教徒の住む土地であろうとも。 彼が隙あらばこの緑の盆地に来る、一番大きい理由だった。 ノルマン人の王が治めていても、シチリアではムスリムもギリシャ人も欧州人と等しく暮らしている。 彼はそんな空気が好きだった。 アラビアの学問は数百年前から、西欧よりずっと進んでいる。学問だけではなく、灌漑技術もずっと完成されていた。整備された畑や果樹園を見て回り、住民たちと言葉を交わすのは楽しい。 南国の空気を緑がほどよく冷やす。その風がときおり蓬髪を乱した。 欧州にいた時には念入りにトンスラは剃り上げていた彼だった。手入れの行き届いたトンスラは僧侶の誇りだ。黒の修道服も、腰を締めあげ着崩れなどしなかった。 それなのに、今はまだらに髪が伸び、胸元は緩んでいた。 おーい、と呼ぶ声がした。声の方を見ると、男が一人、手を振っている。なじみになったサラセン人だ。 修道士も笑って小さく手を振り返した。声を張り上げて、相手に言う。 「いい作物がたくさん必要なんだ。また頼むよ」 「わかった」 相手も手をらっぱの形にして口を囲んで叫び返した。 「今度は誰が来るのだい?」 答えようとして、ふと修道士は首をかしげた。 今回来るのは、イタリアのどこの枢機卿かは知らない。忘れてしまった。 まともな修道士なら、迎える枢機卿がどこの管轄か忘れるはずはないのに。 格調高く猥雑なこの島では、すべてのものが等しく重要で等しく強く輝く。 わたしもずいぶんとここの気風になじんでしまったものだ。 修道士は笑って首を振った。眼の前にぶら下がっている果実に手を伸ばす。 緑を帯びた木漏れ日に輝く、オレンジの実を。 |