雪がちらつく道ばたで、吟遊詩人はうずくまっていた。 物乞いではない。 南国でも冬はあまり過ごしやすくはない。ましてや、ここはイタリアの中でも北の方だった。 身体を悪くして、もう一年にもなるだろうか。容赦ない寒さに、本当に身体が動かなくなっていたのだった。 せめて、ヴェネツィアの街中に入ればなんとか今日の寝床くらいはなんとかなったかもしれないのに。 そんなことにはならないことはわかっていた。年老いて病に侵された身体は、もう歌うこともリュートを奏でることもできないのだから。 どこにいても、地縁も血縁もない男には、優しい思い出は少ない。 歩いていると石が飛んでくることすらあった。 指がまともに動かなくなったのも、そんな石のぶつかり所が悪くて、筋を切ってしまったせいだ。 どうしてこんなことになっったのだろう。 もし、あの時教授と喧嘩しなかったら大学を追い出されずにすんだかもしれない。いや……。 もう遠すぎて、あまりにも古すぎて、擦り切れた思い出。 あの時――少年だったあの年、ある貴族の娘と恋に墜ちなかったら。 父親である土地の領主を怒らせ、慌てて生まれ故郷を追い出されることもなかったろう。 同情してくれた親族の一人が都会の大学へ行かせてくれた。それなにりいい成績をおさめてはいたのだけれど、それがあだとなったようなものだった。 教授の唱える学説に納得できなかった。そして、そんな思いを飲みこむには、当時の自分は若すぎた。 大学を出てからは、本当に地縁を失った。 雪はやまない。古傷がちぎれそうなくらい、寒かった。彼は震える手で酒壜を取り出した。注ぎこむ唇も震えている。 残り少ない酒は、半分以上唇の表面を伝った。旅に汚れた衣服と地面を濡らす。 それでも、慣れた慰めに吟遊詩人は満足のため息を漏らした。 ああ、でも楽しいこともいっぱいあった。 身体が温まってくると、冷たい思い出は小さくなる フィレンツェ郊外の村で、結婚式の音楽を奏でたこともある。たまたま通りかかったメディチのご当主に気に入られ、しばらく屋敷に滞在したこともあったっけ。 鼻の大きな闊達なフィレンツェの統治者。確か名前は――。 吟遊詩人は遠い記憶をたどった。 ――ロレンツォとかいったっけ。 ロレンツォが死んだので、フィレンツェを出た。息子のピエロに出て行ってほしいと言われたし、ちょうどフィレンツェにも飽きたところだった。 足を伸ばして、マントヴァにも行った。学問好きで華やかなマントヴァ侯の奥方が歓迎してくれたな。短いあいだだったけれど、レオナルドとかいう変人の絵描きがいたのを覚えている。 そうだなあ。 眠さに半目になりながら、思う。 俺の旅は悪いものではなかったよ。今は少し寒いけど。 そして吟遊詩人は瞼を落とす。手から滑り落ちたリュートが歪んだ和音を奏でた。眠りに墜ちる間際に、誰かの面差しがよぎったような気がした。 |