怖ろしい喧噪を、画家の眼は見つめていた。 フィレンツェの街は祭りに浮かれていた。虐殺の祭りを。つい数刻前にみなが受かれていたのは、復活祭の華やかな明るさだったのに。 先ほどまで、あちこちで、 「メディチを滅ぼせ、フィレンツェに自由を!」 と叫びが聞こえていた。 しかしそれももうまばらだ。扇動者のパッツィ家の者がほとんど捉えられたからだ。 捉えられただけではないな。 画家は目立たぬよう握りしめた紙をそっと広げた。そこには、吊られた男たちの姿が描かれている。 メディチ家に文字通り刃を向けた者たちだ。シニョーリア(市庁舎)の窓から首に縄をつけられて落とされたのだった。 パッツィ家の報いはそれだけではすまないだろう。 素早く素描しながら考えていた。画家の予測は当たった。 熱狂しやすいフィレンツェの市民は、俄然メディチの忠実な友人となった。眼につく裏切り者一派を、いや、隠れているものは探し出してすらして私刑にし始めた。 フィレンツェにたくさんいる、毎日仕事に励んでいる職人たち。彼らが眼を血走らせて『メディチの裏切り者』を探し求める姿は恐ろしかった。 華やかで明るく社交的な花の都の住民たち。 あまりにも普段の姿と違うありさまに、戦慄する人もいた。でも画家は思う。 きっとそれは、フィレンツェの人々の裏面なんだ。 血の匂いに興奮するのは、飾り立てた祭りの山車やジオストラ(騎馬戦)や祭りの女王に熱狂するのと根は同じだ。 シニョーリア広場で、首謀者のフランチェスコ・デ・パッツィが、泣くような声で演説している。 「自由のために、パッツィとともに戦ってほしい」 それにたいする市民の返答は罵声と石つぶてだった。 フランチェスコの顔色は蒼白だった。怪我をしているのか、緊張と恐れのためなのか。 ああ、彼の命も長くないな。 フィレンツェはメディチとともに。 法王庁がパッツィ家についても、長年フィレンツェを花の都として慈しんできたメディチ家にはかなわない。 ――パッツィなんかクソくらえ。 どこからか飛んできた罵りの叫び声に、フランチェスコの顔はいっそう青白くなった。 彼は頭を垂れると、シニョーリア広場を去った。彼を守っているのは自分の家で雇った傭兵だったが、まるで死刑執行人に引かれているように、画家の眼には見えた。 その後ろ姿を見て、叛乱は失敗に終わったのだな、と画家――サンドロ・ボッティチェリは冷静に考えていた。 1478年にボッティチェリは当時市庁舎の窓から吊られたパッツィ一味の姿をフレスコ画に描いたが、1497年メディチのフィレンツェ追放と同時に取り壊されたそうです。 |